可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

第一回

少し前から、日記をつけたいと考えるようになっていた。紙につけるでもネットに載せるでも、とにかく日記を書き込むことができるのであれば、媒体に糸目はつけなかった。そうした、所謂「日記欲」というものが沸沸と己が内で沸き立っているのを客観的に捉えながら日々を過ごしていた。そうして無為に過ごされた日々の果てに、今という結果がある。

なぜ自分は日記をつけたいのだろう。日記をつけたいと思うようになってから私はその感情に理由を求めるようになった。完了形、起こってしまった出来事、を延延とつけ続けるという行為の裏側に私はそうしなければいけない義務を産み落とす必要などどこを探してもありはしない。漫然と燻り続ける灰のような人生に劇的な瞬間や享楽は存在しえない。ではなぜ。

自身に起こった事態であるのに私がそれを把握できていないとはこれいかに。その故を知るためにつけ始めようと思う。過去の記録といえど主観を通じ私の手先を通じ諸君の眼球を通じ脳内にて形成されうる文字列にだれも正当性を保証できる術はない。この文字をすら虚構といってしまえるほど言の葉は軽く崩れてしまいやすい。願わくばこの言葉が虚構であろうと向き合っていただける方々に巡りあいたいものだ。