可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

そのときは泣いてみせて

僕はピエロだ。誇張ではなく、本物の。
どこのサーカスにだっている陽気な男。奇抜な衣装に見を包み、ジャグリングをしては馬鹿みたいに笑っている。底抜けに明るくて、愚かしいキャラクターだ。
皆は僕を見て笑う。僕がわざと演技に失敗すると、もっと笑う。そうしているうちに、笑われることには慣れっこだけど、笑うことは苦手になった。

まだ僕が道化師としては駆け出しの頃、サーカスの公演の告知を兼ねて知らない街のまんなかで風船を配っていたときのこと。小さな女の子が、ひとり駆け寄ってきてくれた。女の子は不思議そうな顔をして、僕に話しかけてきた。
「どうしてぴえろさんはないてるの?」
僕は口を引きつらせて笑っていた筈なのに、いつの間にか泣いていたんだろうか。頬に手をあてても全然濡れていなくて、そこでようやく気付いた。
化粧だ。決してからだに良くなさそうな顔料を塗りたくった顔。左眼の真下あたりに、雨粒のような雫が描かれている。
「お嬢ちゃん、僕は嬉しいんだよ」
「うそ。ぴえろさんないてるよ」
無垢な瞳が僕を見つめる。
「嬉しくっても、なみだは出るんだ。大人になれば君にもわかるよ」
「ふうん」
女の子はまだ僕の雫を見つめながら曖昧に頷いた。赤色の風船を渡すと、幼い顔が可愛らしく綻んだ。

あれから十数年の時が経つ。僕はその女の子のことを、その短いやり取りを鮮やかに覚えている。自分の顔に雫を塗りつける度に思い出して、少しだけ嬉しい気分になる。
ベテランと呼ばれるようになって、どれくらいになるだろうか。まだ腕前はそれほど高くないと思っているけど、少なくとも知名度は上がった。舞台に上がって、面白おかしく転んだりして生きてきた。作り笑いもすっかり板についた。

ある日、僕がサーカスの公演の告知を兼ねて知らない街のまんなかで風船を配っていたときのこと。綺麗な女性が、ひとり歩み寄ってきてくれた。彼女は優しげな顔をして、僕に話しかけてきた。
「どうしてぴえろさんはないてるの?」
目を見開いた。見慣れてはいないけれど、たしかに見覚えのある顔をしていた。
「お嬢ちゃん、僕は嬉しいんだよ」
声が上ずってしまう。
「うそ。ぴえろさんないてるよ」
いたずらっぽい瞳が僕を見つめる。
「嬉しくっても、なみだは出るんだ」
「ふうん」
彼女はまだ僕の雫を見つめながら頷いた。赤色の風船を渡すと、整った顔が可愛らしく綻んだ。
「ねえ、ぴえろさん」
「なんだい」
「わたし、ぴえろさんに会えて嬉しい」
彼女の目になみだがたたえられる。
「ありがとう」
「これからも、こっそり応援するね」

言葉は出なかった。僕の目からも、あたたかいものがこぼれ落ちる。

僕は舞台に上がり続ける。誰かの苦しみをほんの少しでも和らげるために。僕は願い続ける。僕を見て嬉しい気持ちになったら。そのときは、泣いてみせて。