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可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

五年と少し

以前友人が遊びに来た際に飲み残していったウイスキーを舐めつつ、溜め込んでいた本を消化していると、いつのまにか夜はしんしんと更け、どこかから鐘をつく音が聞こえる。
新年を迎えたのだ。壁に掛けた時計を見れば零時を五分ほど過ぎていて、実家に住んでいた頃は決まって家族で二年参りをしていたことを思い出した。
今住んでいるアパートの近くにも神社はあるが、引っ越してから一度も、そういった行事らしい行事には参加したことがなかった。
気まぐれに、お参りに行ってみようと思った。
マフラーを巻いて薄いコートを羽織り、手袋を嵌めて玄関を出る。驚くほど空気が澄んでいた。扉に鍵をかけて、神社に向かう。息を吸い込む度に、ウイスキーのお陰でほどほどに温まった身体の内側へ冷気が流れ込むのが心地よかった。人気の少ない道路をひたすら歩いて目的地を目指す。幼かった頃は夜中に外を出歩くことなんてなくて、一年に一度の特別な行事だった。昔を想いながら暗夜を歩く。周りには誰もいない。自分の他には、誰も人間がいないのではないだろうか。ふとそんなことを考えたりして、でもその直後に──あちらも初詣だろうか──俺の前方を女性が一人で歩いているのに気付いて、少しだけおかしな気持になる。
神社まで、あと十分も歩けば到着するだろうかというところで、前を歩く女性が一度こちらを振り返った。自分以外の足音が聞こえたからだろう。しばらく歩き続けている中で、彼女は数回、こちらを振り向いた。俺のことが気がかりなのだろうか。そう思いはしたが、引き返す道理はない。振り向いた女性が歩みを止め、こちらを注視してくる。そして俺の方へ駆け寄ってきた。
「あの、祐輔君、だよね?」
「……」
「え、あの、人違いでしたか?」
「いや、俺だよ」
「よかった。それよりすごく懐かしいね。何年ぶりかな」
「高校から別だから、五年と少しになるな」
「……久しぶりだね」
「ああ、久しぶり」
俺に声をかけてきたのは幼馴染の佐智子だった。家が近く、子供の頃はよく遊んだものだった。長い間見ないうちに佐智子はえらく大人びたが、それでも一目見てすぐに彼女だとわかった。
自覚がないだけで、俺はかなり酔ってるのかもしれない。ほんの少しだけ目眩を覚えて、そう思った。

「お前も初詣か」
「え、うん。そうだよ」
「なら一緒に行くか」
「いいの?」
「構わないさ」
二人、連れ立って歩く。沈み切った空には一つとして星が浮かんでおらず、大きな暗い天幕の中にいるようだった。
「君は大学生……進学してるよね?」
「ああ」
「もう二十歳も越えちゃってるし」
「それはお前もだろ」
「はー、大きくなったねえ」
「年寄りみたいな言い方だな」
「そんなことないよ」
「二十歳といえばお前、覚えてるか、あの約束」
「大人になったら結婚しようねってやつ?」
「そう、それ。今思えば、子供の頃とはいえ恥ずかしい約束だったよな」
「……私は、結構本気にしてたよ?」
「だろうな。俺も本気だったけど」
「えっ、それってどういう」
「ほら着いた。神社だ」
「ねえちょっと、ねえってば」
これは夢なのかまぼろしなのか、詰まるところそのどちらかなのだろうが、どちらにしても大きな差異はない。

境内に足を踏み入れたことはなかったが、神社の前を通ったことはあった。奥行きがないため、せせこましい印象を受けたことがある。その中を人がごった返していた。
「すごいな、これみんな初詣なのか」
「ね、すごいね」
明かりの代わりとしてだろうか、あちらこちらで薪が焼べられていて、ときおり火花を散らしては一心に燃え続けている。手をかざせば暖かい。舞い上がる火花が空へと昇っていく。それがまるで星になろうとしているかのようで、広大な天幕を前にしてあえなくそれらは黒に呑まれてゆく。

神酒を一献頂いて、紙のコップに一杯、熱々の甘酒を受け取る。
「そういやお前は甘酒嫌いだったよな」
「生姜が苦手なの」
「惜しいなあ、こんなにうまいのに」
「祐輔君は昔から甘酒飲んでたよね」
「そうだったっけか」
焚き火の前で暖まりながら話をする。俺たち二人の目の前を、色んな人が通りがかる。家族連れやカップル、一人。誰もがその眼に輝きを潜め、新たな年の始まりを満身に感じているようだった。
神社を後にする。といって宛があるわけでないので、ふらふらと歩き回る。もう話すことも殆ど尽きてしまったというのに、お互いに未練がましくしがみついている。
「ねえ」
「うん」
「祐輔君はなんにも聞かないでいてくれるんだね」
「佐智子がなんにも言おうとしないから」
「優しいね、相変わらず」
「そうでもないさ」
「会ってない間、元気にしてた?」
「ああ。そっちこそ、会ってない間は一体何してたんだ」
「色んなとこに旅に行ったよ」
「へえ、例えば?」
「アメリカとか」
「外国なのか、どうだった」
「英語に強くなれたよ」
「お前英語苦手だったものな」
「あとはイタリアとか中国にも行ったかな」
「結構行ったんだ」
「でも、どこにも祐輔君はいなかったから、寂しかったよ」
「そりゃあ、俺はここにしかいないし」
「……私の伝えたいこと、伝わってるよね?」
「さて、どうだか」
とぼけて笑い飛ばすことでしか、返せなかった。気を緩めてしまうと、きっとよくないことになる。感覚がそう囁いている。

「なあ、まだこっちにいるのか」
「ううん、もうすぐ行かなくちゃいけないの」
「そうか」
「日が昇る頃には、ね」
東の空は既に白み始めている。
「もうすぐだな」
「本当は、君がここにいることもわかってたんだけど、なかなか会いに行く勇気が出なくて」
「外国には行けるのにな」
「そんなこと言わないでよ」
「今度実家に帰ったときは、俺から会いに行ってやるから」
「うん、待ってる」
「供え物はなにがいい?」
「んーと、みたらし団子!」
「はは、お前好きだもんな」
薄く光が差し始める。初日の出だ。隣にいる彼女の輪郭が急激に薄れていく。
「初日の出なんて、初めて見た」
目を細めて朝日を拝んだあと、佐智子の方に視線を戻すと、もうそこには誰もいなかった。
明けない夜はないという。たしかにそうだ。闇色の天幕も、光があってこそのものだ。だけど、一年に一度ぐらいは明けなくてもいいんじゃないだろうか。そんな馬鹿げたことを考えてしまうくらいには、酔っているのかもしれない。
彼女と別れてから、五年と少し。