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可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

病室にて

「おおよそ命というものはそれ自体に形を取らないがために、その有無の判別というものは難しい。たとえば死の判断。脳が機能を止めるか、心臓が拍動を止めるか、人が死ぬという定義は幾つかある。そう、失える瞬間がわかりにくければ、生れ落ちる瞬間も同じだ。どこからを人の命とするか。これも見方よっては多々あるだろうな。おぎゃあと産声を上げた時なのか、胎の中で人間の形を形成し得た時か。私個人の意見としては、母の胎内を出て、へその緒を切った瞬間に命というものは初めてその存在を認められるだろうと考える。それ以前までは母親と体が繋がっており、そこに命が宿るとすれば一つの個体に二つ命があることになるからである。私が何を言いたいかというと、近頃の君はお腹の中の胎児をしきりに気にかけている様子だが、そもそもあまり気にかけすぎる必要というものが──」
「あっ、いまお腹蹴った」
「──というものが……ないのでは、と、思うわけだが……」
「なあに、あんまり構ってあげられないから寂しくなったの?」
「いや、別にそんなことは」
「あら。じゃあもう構ってあげない。赤ちゃん産まれたらそっちに気を割かないといけないもの」
「……うむ、やむを得ないな」
「なんて顔してるの、冗談よ」
「そうなのか」
「あなたも大きな赤ん坊みたいなものね」
「……君には頭が上がらないな」
「うふふ、まだ首も座ってないのね」
「いや、そういう意味では」
「わかってるわ、大好きよ」
「ああ、私もだ」
「あっ、またお腹蹴った」