可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

2015年4月16日

2015年4月16日
朝起きる。親父が近くの病院に入院する日だったなと、リビングでもそもそと食パンを頬張る姿を見てぼんやりと思う。本当は入院するまでもなく日帰りで済むような施術らしいのだが、念には念を入れて入院とのこと、三日間。あんじょう頑張って、と声をかけて学舎へ向かう。一限、電子制御に関する話を聴講。終了後、なにか入っているかと文芸サークルのレターボックスを確認するも、なにも入っていないのを確認して帰路へ。木曜日は一限のみ。
帰る途中で銀行に寄る。給料が前日に振り込まれているのだ。ほくほくした気分でお金をおろして、その足で古本屋。ここ最近私的にお金を使っていなかったので、良さげなのがあれば使ってもいいかな、ぐらいの心持ち。平日の午前の古本市場は勿論人が殆どいなくて、本を探しやすい。BIRDSとかモーニングとかそのあたりをうろうろしていると、見慣れない妙な装丁がささっているのに気付いて、宮崎夏次系。網膜がその文字列をスキャンし、
やっと逢えたか。
喉の奥から溜息が絞り出された。
探していた本を前に少し大袈裟目なリアクションをかまして、引き抜く。しかも三冊ともいっぺんに置いてあって、膝をつきそうになった。
それ含め何冊かの古本らの会計を済ませる。有難や。何度も口の中で呟いた。
宮崎夏次系の作品を読んで、偉そうなことをいえば、八割六分は凄いなと思った。残り一割四分は、恐らく虚勢も多分にあるだろうが、こんなものねというところ。ふふんと高を括るその姿は正しく愚かというところ。
やはり絵と文章とが混在していると凄いなという気分になる。小学生ばりのコメントをぶちこんだ。
この文章は4月17日に書かれていて、時系列的に昨日のことを書いているものだから、日記とは呼べない。追憶というほどでもない。中身なんてない。じゃあなんだと聞かれたら答える用意はできている。
答えるつもりは今のところない。