コミュニケーションが難しいという話
「コミュニケーション障害(コミュニケーションしょうがい)は人間に身体的・精神的に不利を強いることとなる欠点が存しており、それを原因として社会などといった対人関係を必要とされる場面で十分なコミュニケーションを とることができなくなるという障害。 現代に置いて若者に多く発病している。通称はコミュ障であり現在のところ特効薬はなし。メンタルケアが現在のところ最も有効とされている。致死率0%と死 ぬことはないが、患者に対し人前にのみ言語障害と多動症の症状が見られる。基本的に人と接触することが苦手となるのだが、心の中では寂しい、誰かと繋がっ ていたいと思いインターネットの世界にのめり込むことが多い。
馬鹿だ、と思う。これが俺の答えである。何に対するかは最後に書く。
元来コミュニケーションの障害というと、上に挙げたウィキペディアの指す内容で間違いはないのだろうけど、それは違うと俺は信じる。信じるってんだから、それは思う、よりも強い。
何が、どこが違うかって話になるんだけど、そもコミュニケーションの障害とはどういうことを指すのかって話からで、障害の定義として他人を目の前にして、コミュニケーションが十分に正常に取れないって書いてあるように俺は読める。そこにまず引っかかりが、それも大きなそれがあって、十分に、正常に、コミュニケーションが取れないってそれ、障害とまではいかないんじゃないの、ということ。
「障害(しょうがい、障礙、障碍)とは、以下のような様々な意味、あるいは訳語にあてられる用語である。
・ものごとの達成や進行のさまたげとなること。また、さまたげとなるもののことである。
・なんらかの障碍によって発生するダメージやトラブル、問題が生じたという意味。また、支障をきたしている状態。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3」
またウィキペディアからの引用だけど、障害ってのは、進行の妨げになることだとは書いてある。俺が言いたいのは、そろそろ察せるだろうけど、十分に、正常に取れないなんて、よくある話なんじゃないかってこと。障害という名前を使うほどじゃないって思う。
今更ながら乱筆、乱文ごめんよ。
まとめよう。きょうび、コミュニケーション障害=会話をはじめとして、コミュニケーションというものを、うまく他人と交わせない、という一般定義が存在する。広く膾炙してるとも思う。障害といういい方にはまだ納得いかないが、それもまあそういうものだと受け止められる。
しかし自称としてのコミュニケーション障害となると話が変わる。他人とうまく会話できない、の解釈が歪んでいるようで、自分の土俵で戦えないだけでコミュ障を自称する輩の多いこと。初対面の相手に対して緊張してうまく会話ができないだけでコミュ障を自称する輩の多いこと。ステータスとしてのコミュニケーション障害がここ最近増えているように思う。それは、障害と呼べるものではないと俺は考えるし、そういう意味では、上に挙げた俺のいう、障害という名は重いのではないかと述べた「コミュ障」と合致しないとはいえないかもしれない。ああもう自分が何をいいたいのかもわからない。
要約すると、その「コミュ障」の使い方は違うぞ、特に中高生。
俺の思うコミュニケーション障害とは、最低限の意思疎通はできても、少し踏み込んだ会話になると途端に的外れなことを言ってしまう、みたいなことで、なまじ疎通ができるだけに、生々しい。
相手に会話を振られて、そのことについて返答をすると相手はきょとんとした顔をして、自分も相手の反応からきょとんとしてしまう。そうして決定的に会話がかみ合わなくて、緩やかに遠ざけられていく感じ。異言語で会話してるみたいで、言語圏が同じなだけにニュアンスはわかるけど、文法構成が全く違うために話がこじれてしまう、みたいな。
そういったものを考えてしまう自分がまさしくそうなのかもしれなくて。
いったい自分とは何者なのだろうか?