可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

レゴ部!

南校舎は全体的に埃っぽくて汚い印象がある。建物自体が相当古いために、併設された中央校舎や北校舎と比べると自然に湧き出てきてしまう薄汚いイメージが、そうした印象を形作っている一因になっている。そんな南校舎二階、北の方角に突き当たる場所に、その室は存在した。
生徒部詰所。時代を幾ばくか錯誤したような、なんとも色気のない名前だが立派に存在し、学校側からの正式な認可も受けている。室の使われ方としては、その名のとおり「生徒部」に所属するメンバーの活動拠点である。
生徒部とは、文化祭や体育祭など、学校が催すイベント・企画すべての構想や運営をこなす、生徒による生徒のための機関である。部という名を冠するものの部活としては扱われておらず、どちらかというと生徒会のような、ある種独立した立ち位置にある。とはいえ正式な生徒会は別に存在するために、生徒部の面々が表立って活躍することはない。
体育祭の選手宣誓を担うのが生徒会の役目だとすれば、生徒部の役目はマイクの設営や時間配分になる。それゆえ、度合いとしてはかなり学校に貢献している割に生徒からの認知度は低く、加えて活動の際彼らは生徒部指定のユニフォームと称した生徒部オリジナルの臙脂色のジャージを着て活動するため、その奇抜さ、また美的センスの欠落から、陰で軽蔑の意を込めてボランティア蒸し芋と呼ばれる有様である。そんな集団に進んで加わろうとする者は、多くはいない。

藤崎は一年生にして、僅か二人しか在籍していない生徒部の貴重な部員である。彼はある日の放課後、少し黴臭さが気になる詰所で人を待っていた。南校舎は授業で使われる教室がないため、平日の午後などは時間が止まったように静かだ。暫く彼が待ち続けていると、小さな足音が一つ、詰所に近付いてきた。
パイプ椅子に腰掛けていた彼は、いま一度居住まいを正して来訪者を迎える準備をする。間を置かず詰所の扉は開かれた。
「こんちわっす、先輩」
「こんにちは。お疲れ様、藤崎君」
長い黒髪が揺れている。現れたのは、二年の蓮見みゆきだった。彼女は生徒部の部長である。
「体育祭の計画書、あれで通りましたか?」
「ええ、つつがなく。だから今日の分の活動はなくなったわね。もう帰っても大丈夫よ」
話しながらも蓮見は歩みを止めることはなく、室の奥にある、いつも彼女が使用している机のあたりまで行くと、徐に肩に掛けたセカンドバッグを机の上に置いた。幾つかの小さな塊同士がぶつかったような、ごちゃごちゃとした音が鳴る。
「いや、今日気紛れに覗いてみた目安箱にこんなものが入ってましてね」
藤崎はそう言って、二つに折り畳まれた紙片をファイルから取り出してみせる。目安箱とは、生徒部が校内に計六箇所設営した投書箱のことで、生徒が少しでも過ごしやすいようにと、彼らから日頃の悩みや相談ごとを募集してはいるのだが、実際に投書があったのは目安箱実装四ヶ月目にして今回が初めてのことだった。安物のパイプ椅子にもたれ掛かっていた蓮見の目が大きく開かれ、光り輝く。
「ついに投書が来たのね」
「読ませていただきます」
「うん、お願い」
藤崎は一度だけ咳払いをすると、紙片に書き連ねられた内容を読み上げる。内容はおおよそ以下の通りだった。

投稿者である自分はとある先輩を好きになってしまい、彼女に告白をしたいが、彼女にフラれてしまうのが、またそれによっていまの関係が壊れてしまうのが怖い。現状わりかし仲良くさせてもらっているのに甘えて、もう長いこと想いを告げることができていない自分に生徒部のひとから喝を入れてほしい。

藤崎が読み始めるときこそ蓮見は身を乗り出して聞いていたが、文書を読み進めるにつれその表情は次第に曇り始め、彼が読み終わる頃には、その整った顔に遣りきれないといった感情を浮かべていた。
「先輩はどう思いますか」
「え、ああ、うん」
蓮見は複雑そうな顔をして頷いた。頷きながら傍らに置かれたセカンドバッグを開け、大小さまざまなパーツを机上に広げる。ざらざらと音を立てて広がるそれはレゴブロックだった。
その中から灰色のパーツを幾つか見繕って、それらを組み合わせ始める。レゴブロックを組み立てることが彼女、蓮見の趣味だった。藤崎も最初こそ面食らいはしたものの、もう慣れたもので、彼はなにかを形作り続ける彼女に声をかける。
「先輩、初めての投書ですよ、ちゃんと考えましょうよ」
ブロックを組みながら蓮見は溜息をついた。
「藤崎君ならわかると思ってたんだけど。私ってほら、レゴ触ってる間だけ集中力が増すじゃない?」
「そんな面白設定初めて聞きましたが」
やり取りをしながらも蓮見は散らばったパーツの中から迷うことなく必要なものを選定し、嵌め込んでゆく。
「先輩」
蓮見は視線を手元に落として、返事を寄越す気配を見せない。
「聞いてますか?」
藤崎はようやく事態のおかしさに勘付き始める。蓮見は、いくら日頃から暇さえあれば趣味のレゴブロックを弄り倒しているとはいえ、生徒部の仕事中にまでするような人じゃない、と。
「これは真剣な話なんです」
「そうはいうけどね、私だって真剣に考えてるの」
間髪入れず蓮見が言葉を切り返す。顔を上げ、藤崎を捉えたその目には戸惑いが宿っていた。彼女はブロックを組む手を止めた。
「変なこと聞くようで申し訳ないけど」
「はい」
「その投書書いたの、藤崎君じゃない?」

「どうしてそうなるんですか」
「私だって聞きたいよ。どうしてこんなことを?」
「いや、だから、俺が書いたって証拠でもあるんですか?」
「直接的なものはないけど、でもその手紙の内容からある程度察することもあるから」
蓮見の声は落ち着き払っていた。彼女は手に持っていたブロックの塊を机の上に置いた。
「全校生徒の中のどのくらいの割合が生徒部の存在を知っていて、なおかつ目安箱の存在を知っていていると思う?」
「そりゃ低いは低いでしょうけど、現に投書が来てるわけだからそこは関係ないでしょう」
一度だけ、蓮見が溜息をついた。
「藤崎君は、よく知りもしないひとに恋愛相談なんかできる?」
「……できませんけど」
「敢えて認知度の低い生徒部に狙いを定めて相談するよりは、信頼できる友人なんかに頼るのが順当だと思うの。こと、恋愛事なんかそうよ。私が投書に想像していたのは、学校の設備や制度なんかに関係する相談事だったの」
「一理ありますけど、先輩。それは確率や可能性の問題であって実際にこうして依頼が来てるんだから」
「告白すればいいじゃない」
藤崎がすべてを言い終わらないうちに蓮見が答えた。
「えっ」
「そのひとは生徒部から喝を入れてほしいんでしょ。告白したいと思ってるのなら、そうしない理由を考えるよりも、いますぐ想いを伝えるべきだと思うわ。はい、これでいい?」
「は、はあ」
「よく知りもしない人に恋愛相談なんかできないのは勿論だけれど、相談された側も相手を知らないんだから当たり障りのないことしか答えようがないじゃない。それでも相談に来てるってことは、そのひとが余程のお馬鹿さんでなければ、生徒部のどちらかと直接的な交友があると考えるべきね。そして私には思い当たるひとなんかいない。私でないとすれば、そのひとはきっと藤崎君の知り合いじゃないかと思うの」
藤崎は目を伏せて、暫く黙り込んだ。蓮見は尚も淡々と続ける。
「でも仮にそうだったとしても相談者が藤崎君を知っているなら、なぜ投書なんて回りくどいやり方をするのかって話なのよ。生徒部に頼るにしたって、あなたを通してここに話を持ってくればいいじゃない」
「それは、その」
言葉に詰まる藤崎に蓮見は僅かに表情を和らげて、宥めるように声をかける。
「藤崎君の言う通り、確率的にはそうだとも言い切れないわ。推論の域を超えることはないもの。だけど、確率がどうこうっていうのなら、一番有り得るのはやっぱり藤崎君が書いたってことだと思う。……ねえ、怒らないから本当のことを教えて?」
数秒ほど、どちらもなにも話さない時間が訪れ、藤崎は観念したように両手を挙げた。蓮見の顔に少しばかりの安堵が浮かぶが、不安すべてが拭いさられたようでもない。
「やっぱり。でもどうしてこんなことを?」
藤崎は伏せた目を戻そうともせず、タイルの一点を見つめながら答えた。足場の悪い場所でバランスを保ち続けるように、慎重に。
「先輩は報われるべきひとだから、です」
「なによ、薮から棒に」
「誰よりも学校のことを考えて、自分の身を粉にして働いて、なのに誰からも称賛されていない」
「……なにを言い出すかと思ったら、そんなこと」
「くそほどダサいジャージのせいでフカしたイモだと生徒に嘲られながらも、その生徒のために行事を運営する姿を見て、俺は何度涙したことか」
「ちょっと待って、初耳なんだけど、あのジャージってそんな悪評ついてるの?」
「蒸し芋でなにが悪いってことです。あんなにもほくほくして美味しいのに!」
「それじゃ蒸し芋のフォローになってるけど」
「そこで考えたんです。先輩が発案、設立した目安箱を使ってみるのはどうだろうって」
「そこに至るまで随分腑に落ちなかったけど、うん」
蓮見は置いていたレゴブロックを手に取ると、再び組み始めた。
藤崎は、蓮見が目安箱に並々ならない熱意を注いできたことを知っている。彼女は生徒部側が生徒に働きかけるだけでなく、生徒側からも生徒部に意見や要望を発信できる機会を作り、学校生活をより過ごしやすいものにしようと努力した。新聞部発行の学校新聞にも毎号欠かさず、目安箱の宣伝広告を載せている。しかし残酷なことに投書は来ず、ただ時間だけが無為に過ぎていた。
藤崎は顔を上げる。緊張した面持ちで蓮見を正面から見据えた。
「きょうび目安箱なんて、しかもそれが生徒部発信とくれば、正直をいえば投書の期待値は高くはありません。だからこそ先輩が在学中に一度でもそれが使われるさまを見せてあげたかった。だから俺が、生徒部宛てに相談することにしたんです」
「相談?」
「そして悩みを聞いてもらって、喝も入れてもらいました」
「……それは投書の内容でしょ?」
「はい。とある生徒の相談です。先輩は言いましたよね。告白したいと思ってるのなら、そうしない理由を考えるよりも、いますぐ想いを伝えるべきだと」
「ええ、そう言ったけど。……もしかして藤崎君、あなた」
「先輩。俺、先輩のことが好きです」
ごとん、と鈍い音がする。それは蓮見が手から取り零したレゴブロックが机にぶつかった音だった。

「ずっと気になってたんですけど、先輩ってなんでそんなにレゴブロックが好きなんですか?」
蓮見の隣で、彼女がレゴブロックを組み上げるさまを見つめながら、ふと思い出したように藤崎が尋ねた。
「知育玩具なのに大人も楽しめるところとかかな」
「遊ぶ幅が広いってことですかね」
「組み合わせ次第で無限の可能性を秘めてるからよ」
「いま作ってるそれは……なんですか、それ」
「見てわからないの?」
少し呆れたような顔をして、蓮見は藤崎の目の前にそれを持ってくる。彼女はアングルを変えたりして彼に全体が見えるようにした。
「カバ、ですか」
「当たり。やればできるじゃない」
「色と概型ぐらいしか確実にわかるところがないじゃないですか」
「大切なのは想像力よ。現にあなたは当ててくれたことだし」
「偶然ですよ。……あ、尻尾の辺りのパーツ、いまのものよりこっちの方がリアルに見えませんかね?」
そう言って藤崎がパーツの山から見つけたのは、動物の尻尾を模した専用のパーツだった。色味といいサイズといい、カバのものにしてちょうどの代物だったが、蓮見は緩やかに首を振る。
「たしかにそうだけど、こっちの方がレゴブロック本来の質感が出て良くない?」
蓮見の作ったカバの尻尾はパーツの形がすぐわかってしまうようなチープなもので、お世辞にも藤崎が提示したものより本物らしいとはいえなかったが、そのチープさがレゴブロックで手掛けたものであることをさり気なく、それでいて効果的に表せていた。
「写実的が過ぎるよりかは、適度にレゴ感が出た方が良いんでしょうか」
「その辺は好みなのだけど」
「へええ、結構面白いもんですね」
「同じパーツに見えても厚さや穴の幅なんかが違ったり、使うべきシーンを選ぶパーツでも本来とは違った場面で活用してみたり、はまったらほんとに病みつきになるんだから」
蓮見はまるで子供のように目を輝かせて語る。その姿を見て、藤崎まで笑顔になった。
「俺もレゴ始めてみようかな」
「ふふ。そしたら生徒部じゃなくてレゴ部になるわね」
「嫌ですよそんなの。あくまで生徒部です」
「どっちも大差ないと思うけどね」
「大ありですよ。それより先輩、俺も自分のレゴが欲しいです。初心者用のキットとかありますかね」
「じゃあお勧めのやつ見繕ってあげる。今度の日曜日は暇?」
「ええ、空いていますけど……初デートがそれでも、いいんですか?」
デートという言葉に反応してか、僅かに頬を染めながら蓮見は、早口で返答した。
「きょ、共通の趣味に関する買い物なんだから、立派なデートじゃない?」
「それも、そうですね」

後に彼らは、「番い蒸し芋」やら「芋ブロック」などと呼ばれ校内の名物カップルとして一躍有名になるのだが、過去のようにその独特な渾名に侮蔑性が含まれているようなことはなかった。
ところで、誰かが流した噂によってか、月に何度か目安箱に恋愛相談が送られてくるようになったのだが、それはまた別の話。