読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

お弁当大作戦

私は彼のことが好きだ。
幼馴染で、家が隣で、元気だけが取り柄で、誰に対しても分け隔てなく優しくて、世界一かっこいい彼のことが。
だけど向こうは私のことをただの仲のいいお隣さんとしか捉えていないみたいで、ふざけあって笑うことはあっても、喧嘩していがみ合うことはあっても、親友の領域を飛び出すことはないみたいだ。
怖いくらい居心地のいいはずのこの距離感が、時々とても居づらくなる。

ある日、近い内に彼のお母さんが社員旅行だとかで一晩家を空けるらしいことを耳にした。私はチャンスだと思った。なにがチャンスって、彼にお弁当を作ってあげられることだ。
小さい頃のこととはいえ、一緒にお風呂にも入ったし、漫画の趣味も聴く音楽の種類もお互いわかりきった上に合わない私に、いまになってできることは料理ぐらいだった。簡単な料理くらいしかできない私だけど、ここで胃袋をガッチリ掴むことができたら、二人の距離は縮まるだろうか。期待に胸を膨らませながら、私はママに頼み込んで料理の特訓を始めた。


「おはよ、明久」
「おお、あかり」
特に約束するでもなく朝は一緒に登校する。当たり前の日常が嬉しい。流石に朝夕はめっきり冷え込んできていて、足を震わせながら歩く。それでも隣にはいつものようにのんびりと歩く彼がいるから、心は暖かい。
「ね、明久、お昼どうするか決めてる?」
胸の高鳴りを抑えて尋ねた。色々方法も考えたけど、やっぱり正面突破がいい。逃げも隠れもしちゃいけない。
「あーそっか、弁当ないんだった。学食かコンビニかな」
彼はこともなげに言ってみせる。一度だけ静かに深呼吸をして、一息に話した。
「私でよかったら、お弁当作ってきたけど」
彼が変なものを見るような目つきで見てくる。それはそうだ。普段から料理を作るわけでもない私が急にこんなことを言い出したのだ。
「お、おいおい、どういう風の吹き回し?」
「うっさいな。私だって料理くらいするもん」
「いやまあ、そうかもしんないけどさ。それちゃんと食えるんだろうな?」
からかうような彼の言葉に、へそを曲げてしまいそうになる。私が今日のためにどれだけ練習してきたと思ってるの。
「いらないなら、いいけど」
「うそうそ、いります、食わせてください!」
「最初からそう言えばいいのに」
もうこれだけで緊張と安堵によってその場にへたりこんでしまいそうだった。

昼休みになって、彼と中庭のベンチまで連れ立って歩いた。薄曇りの空からぼやけた太陽がまだるっこしく照らしてくれている。セカンドバッグからお弁当の包みを取り出すと、彼に突きつけた。
「小さくて足りなくても、我慢してね」
「おう」
「……美味しかったら、我慢しないで言ってもいいから」
「任せとけって」
「…………もしも不味くても、その、ちょっとは我慢してね」
「あのさあ、早く食べたいんだけど」

彼は待てないといったように急いで包みをほどく。
器の蓋をかぱりと開けて、彼が嬉しそうな声を上げた。だって彼の好きなおかずを、沢山つめたから。
お肉多めの野菜炒め、ちょっと辛めに味付けしたきんぴらごぼう、冷めても美味しいように昨日から仕込んだ煮物、そしてママ直伝の、ふわふわの卵焼き。きちんと味見もしたし、不味いはずはない。
彼に喜んでもらえることばかり考えていた。この数日はそればかりだった。とても充実していたなあと、いまに思えばしんどかったこともあったけど、とても小さいことのように思えた。
彼がきんぴらごぼうに箸をつける。私はといえば、とてもお昼ご飯を食べていられるはずもなくて、横目で彼の様子を盗み見ることくらいしかできない。
何度か咀嚼して、彼は飲み込んだ。そしてしばらく黙った。なぜ彼はなにも言ってくれないのだろうか。ひょっとして味付けが辛過ぎたのだろうか。内心穏やかでないあたしをよそに彼は今度は煮物を口にした。同じようにして飲み込んで、また動きが止まった。
「あの、なにか」
言いかけて、口を噤んだ。彼がこちらを向いたからだ。といってなにを言うでもなく、彼の箸は弁当箱の隅に収まった卵焼きを掴む。そして一切れを頬張った。何度か噛んで、飲み込む。それでも黙りこくったまま。
「なんとか言ってよ、お願いだから」
「すっげえ、うまい」
殆ど懇願するような形になった私の言葉に食い気味で、彼が漸く口を開いた。
「えっ」
「いままでに食ったことないぐらいうまい、」
最初は落ち着いていた彼の声が、徐々に震えてきているのがわかった。
「なんだよあかり、お前こんなに料理上手だったなんて、ああ、くそ、悔しいぐらいうまい!」
そういうや否や彼は弁当箱をかきこみはじめた。喉が詰まってしまうくらいの勢いで。
最初こそ呆気に取られていた私だったけど、徐々に自覚的に鳴り始める拍動が、頭の真ん中で踊り狂う大成功の文字が、目の前で幸せそうに食べてくれる彼の姿が、信じられないくらい嬉しかった。

あっという間に食べ終えてしまった彼の目線が、私のお弁当箱に注がれる。なにかを我慢しているかのような、苦悶の表情を浮かべて。私はつい嬉しくて、言ってしまう。
「よかったら、食べる?」
「いいのか!?」
間髪入れず返事が返ってきて、思わず苦笑する。そして手に持ったお弁当箱を差し出した。
好きな人の為に作ったご飯を、美味しいと言って食べてもらえることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。

「ごめんな、あかりの分まで食っちゃって」
「いいよ、別に」
「最高だった。まじで舐めてかかってた」
「ふん。当たり前じゃない」
作戦は大成功だった。のかもしれない。だけど、明日からまた昨日までの生活に戻ってしまう。これからご飯を振る舞うことはあっても、お弁当は無理だな、と思うと、少しだけ寂しかった。
私は彼にとって、美味しい料理を振舞ってくれる幼馴染になれただろう。だけどそれではまだまだ足りない。
先は長いなあ。だけど確かな手応えを感じたので、今日はよしとしよう。

「……あかりさえ、よければだけどさ」
彼が珍しく、どこか言いにくそうに話した。
「なに?」
「これからもちょくちょく、お弁当お願いしてもいい?」
反射的に彼の顔を見た。どこを見ているのかわからないその横顔は、だけど赤かった。
「な、なんで」
私も私で、素で聞き返してしまった。ほんの少しでも考えればそれがどういう意味なのかわかるはずなのに。
「だって、本当にうまかったんだ。あかりの弁当が」
茹でダコみたいに顔を真っ赤にしながら頷く以外に、なにもできそうになかった。
お弁当大作戦、大金星。