可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

四月(1/4)

正門から入るよりも南門からの方が約六分、時間を短縮して室に着く

土だけで充たされ種を植えられずに置かれた鉢植えが周囲を囲むのを横目に第四号棟、誰かが面白半分に「要塞」なぞと揶揄した鉄筋へと足を踏み込む

律儀に詰め込まれた機材や紙束の山をすり抜けて三階北西部まで到達、その場から東へ七歩半
「c-14」と名付けられた木戸の前に立つ

悠久の時の経過により全てが等しく赤茶けた校舎、三度目の春、昼前

金属同士を擦り合わせたような嫌な軋みが寝不足の頭を蝕む


足元に転がる何かの基板を爪先で端によけながら自分の、機嫌が悪いことを知った


室に入る前に一服しようか

右足の親指に重心をおきながら黙考、マルボロの残りが心許ないので今は控えることにして却下、

取手に手をかける

からり、と見掛けよりも軽快な音のする引戸を右に引けばそこは整然とした室

「やあやあ」

佐月が回転椅子に腰掛け足を組みながら不敵な笑みを差し向けてくるのを無視し使い古されたパイプ椅子に身体を預け鞄から文庫本を取り出して読み耽る

耽ろうとした矢先にキャスターの音が迫る、佐月が近付く

「相も変わらずだけどその対応は何よ。もう少し私に気を使ってよ、具体的に言えば構ってよ」

他を当たれ

「断らないの、会長の要求である」

長を名乗るにしては些か理不尽且つ幼稚だが

「サークルの代表者に対しよくそれほど尊大な口が利けるものね。私に覇気が足りていない証かな?」

笑わせるな

「よもやこれが世に聞く“つんでれ”かも」

……

「ツッコミはないの?」

……

「さては図星なんだ」

ありえないだろ

「ありえあるよ」
奇妙な言い回し。その言い方が嫌いだった



勝手に解釈してろ

次の頁に手をかけながら返事
対話は心底面倒なのだが無視すれば一人語りを延延聞かされるので読みながら相槌だけ返す。のにも疲れた

いい加減にしてくれ

口の中だけで呟きながら頭の片隅で煙草を吸う選択肢を採択し栞を挟み文庫本を閉じる

「今日の新入生勧誘についての打ち合わせだけど」

嘆息を伴ってキャスター付きの椅子だか佐月だかが話しかけてくる

返す声を発することすら億劫なので放置

取手にかけた左手
と同時に
右手首に握力を感知

「真面目な話くらいは尻尾まで聞いてって」

疲れてる、離せ

捕縛からの解放

引戸を左へずらし右足を軸に左足を出す

声こそかけられなかったがちりちりと背を焼く感覚、みつめられる

後ろ手に閉める戸、時間にしておよそ一秒。その一秒が、心臓に刺さり続ける




閉まる
静寂





「あ、あのっ」

右方に在る気配に気付いた時には既にショートボブの、眼鏡をかけた女がこちらのすぐ脇に立っていた

誰だ

「み、水瀬と申します」

少しだけ尖った顎、黒みがかった焦茶の髪。目の泳ぎ方、不用意に要塞に入り込む無謀さを鑑みてこの女は新入生なのだろうと当てをつける

何の用で

「えっと、迷ってしまいまして……」
あはは、と笑いながら頭を掻く

ここに長居されても鬱陶しい

どこに行くつもりなんだ


「えっとですね……」
とろくさい手付きで肩掛け鞄からメモらしき紙片を取り出す

「娯楽同好部の、部屋です」

……入部希望か

「えっ……あっ、はいそうです」

後ろの戸を指差す

室はここだ

腕を下ろす

中にいる女に声をかけろ

足元の基板を避けつつ外へ向かう

「あの、ありがとうございました!」

後ろから活発な声がぶつかる

うるさい、大声を出すな

木戸を引く音



要塞の入口にある寂れた石に腰掛けマルボロに火を点けた

内臓にに染みる感覚

四月の陽光は想像よりも心地好く、うつらうつらと船を漕ぎ始めるまでさして時間はかからなかった

地面に腰を下ろし、寂れた石にもたれ、そして、目を閉じた



暗転




目が醒めると、
まず感じたのは痛み

腰、背中、首筋、凝り固まった筋肉が軋む

いてえな

「そんなとこで寝るからよ」

いたのか、佐月

寝起きだからか声が掠れる


「座椅子ならぬ座石か」

つまらんことを言うな

「新しい子が入ったね」

水瀬、だっけか

「今年はあの子一人だけかも」

入るだけいいだろ

「うん」

……

「……」

腹、減った

「お昼は食べたの」

いや

「朝は」

いや

「餓死すればいい」

そうしよう

「……」

……

「最近は」

……

「最近は」

聞いてる

「炒飯に凝ってるの」

……

「海老とキムチとオクラがお薦めである」

そうか

「新しいメニューもあってね」

ああ

「鶏肉とレタスとトマトとか」

……

「まだ作ったことないけど」

そうか

「何かのついでだし今度、味見に付き合って」

任せろ

「……いつもより喋るね」

気分がいいんだ

「さっきは悪かったくせに」

機嫌がな

「気分と機嫌ってどう違うの」

機嫌は心象

「気分は?」

そこにある雰囲気

「なにそれ」


蒲公英の綿毛のように微笑む佐月は、異性からよく言い寄られるらしい

飽きるほど見た顔だし今更何の感慨も湧かないが、それなりにこいつの造作は整っていると聞く

俺にはただの調子者にしか見えないが


不意に佐月が目を細めた

「あれ、君宛てじゃなくて?」

佐月の言わんとする先から見知らぬ女が近づく

「モテるねえ」

そう言い残しいつの間にか風の如く姿を消した佐月に一人残される

もっと早く言えよ

逃げる程の距離も体力もないので憮然とした態度で待ち構える、寂れた石に体重をかけて

見知らぬ女は眼前で立ち止まり、話し始めた

「藤堂先輩」

なんですか

「今、暇ですか?」

いいえ

「何をしているんですか?」

考え事を

「先輩」

はい

「あの、よければ、」

誰とも知り合いになるつもりはないです。連絡先もいらない

「……どうしても、駄目ですか」

どうしても

「理由だけでも教えてはくれませんか」

宗教上の都合で

「出鱈目は、なしで」

宗教上の、都合で

「……なにそれ」


女が立ち去った直後に影のように現れた佐月は、くすくすと笑う

何がおかしい

「そんな振り方ってある?」

悪いか

「あの子結構可愛かったのに」

お前の感性を押し付けるな

「それに宗教上の都合って」

咄嗟に浮かんだんだ

「別にいいんだけどね」

はあ、と溜め息

何だ

「本当に君ってば、意味わかんないくらいもてるよね」

今に始まったことじゃない

「誰かと付き合えばいいのに」

好いてもない奴と、か

「好きな人と」

いない

「うそ、今までに一度も?」

うるさい

「うそなんでしょ?」

悪戯を思いついた子のようなずる賢い笑みを浮かべ詰め寄る佐月に平手を打ちたいが、すんでの所で踏みとどまる

それよりも腹が減った

「あー、話、逸らした」

腹が埋まってからにしろ

「じゃあスーパーで食材揃えにいきますか」

わかった


誰も好きでお前を好きになったわけじゃない
ただお前が俺の近くにいただけで
だけど紛れもない、この感情は、恋慕

しかし素直に好きだ、なんて

言えるはずもない




「あの、」

今度は誰だ

「み、水瀬です」

……ああ

「入部の手続きをしたい……んですけど」

手続き、だと

佐月、お前手続きしてやってないのか

振り向いた時には既に跡形もなく

あの馬鹿


『死ね』

瞬間
誰かの声を聞いた



「あ、あの」

ああ悪い、手続きするか

「はい!」



部室にある長テーブルは平衡というステータスを持たないためか、その上でなにかを書こうとするとカタカタと穏やかに自己主張を絶えず行う


書類を渡し、書く上での留意点を伝え、終え、一息

名前なんかを記入するだけの書類に真剣な顔でうんうん唸りつつ向き合う水瀬を前に、思い出したように一言


さっき君がこの部屋で会ったのがサークル長の荻野で、俺が藤堂だ

返ってきたのは的外れな言葉

「えっと、」

何か

「私、誰にも会ってません、けど」

……なに

「この部屋では、誰にも」

……荻野とは、さっき君がこの部屋に入った時にいた女を指しているが

「ですから、誰もいませんでした」

……そんなことあるわけ

ないだろう


にわかに怯え始めた顔の水瀬
その瞳に映る俺も怯えていたのだろうか