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可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

コーラとサイダー

放課後の校舎の雰囲気は嫌いじゃない。
堅苦しくないというか、例えるなら紙風船のようで、空気が入っているのに弾力はないというか、そんな感じ。
その中を自由に過ごせるなら、なにも言うことなんかないのに。
廊下を歩きながら、小さな溜め息を吐く。抱えている資料の束には、文化祭実行委員会と書かれている。


ほんの少しの同情と、暇潰しにでもなればという軽い気持ちで手を挙げてしまったのが良くなかった。
担任はほっと息をつき、クラスメートは大仰に騒いだ。
ゆうに十五分は膠着状態のままだったのだ。誰もが実行委員という損な役回りを「自分以外の親切な誰か」に任せたくて、でもそれをわざわざ自分が推薦という形で他人に押し付けるのも憚られていたようで、そのまだるっこしい雰囲気が、私は馬鹿らしくて仕方なかった。
だから半ば投げやりな気持で立候補してやったのだ。
どうせ放課後の時間を埋められてしまうだけ。部活も入ってなければ、アルバイトもこの間辞めたばかりなので時間に余裕はある。

と、大見得を切ったまではよかったんだけど、想像を遥かに絶する労働量の多さに辟易するのに三日とかからなかった。
うちの高校の校風は緩く、それに対してオブラートに包んでいるつもりなのか、生徒の自主性を重んじるとかなんとか謳っている。だからこうしたイベントごとも、教師よりも生徒が主体的に運営させられている。
「主体的に」「させられている」という茶番なんてやめてしまえばいいのにと、私はそう思うけど、教師達はそういった雑事に噛まない分負担が軽いようだし、勿論生徒は「自主性を重んじる」校風のままでいたいに決まってる。
私だって「自主的に」手を挙げたのだ。引き受けたからにはやり通さないといけない。
この委員会に入ってから、私はこの学校というものについて考えることが増えた。

私は会計を任されているはずなのに、会計の仕事が終わるとそこで終わりじゃなくて、別の労働に駆り立てられる。
グラウンドの奥にある倉庫から資材を引っ張り出しては運び、街におりてペンキや厚紙を持てるだけ買い出したり、正直会計の仕事よりも働いている。
道理で誰も手を挙げたがらなかったわけだ。こんなにしんどいのなら私も立候補なんてしなかった。
サボれば怒られるし、することは地味だし、何よりくたくたに疲れるし。同じ実行委員の子も、みんな辛そうな顔をして頑張っていた。
今日だって明日の実行委員会議に使う資料をたくさんコピーしてホチキスでまとめなければならない。
資料にしたって何年も前から同じものを使い回してるし、どうせ配ったところで真面目に眺めるひとは少ないと思うけど。
いっそ文化祭なんてしなけりゃいいのに。

空き教室に入って、淡々と資料をまとめる作業をこなす。一枚一枚順番や向きが正しいかを確認して、それを机の上で揃えてホチキスで角を留める。
とんとん、ぱちん。とんとん、ぱちん。
続けている内に少し楽しくなってきた。
「冴村さん?」
廊下の方から私を呼ぶ声がする。振り返ってみると、うちのクラスの委員長がいた。
「大井ちゃんじゃん。どしたの」
「私はいまから帰るとこだけど、廊下から冴村さんが見えたから」
「あたしは実行委員の雑用だけど」
委員長は、いかにもな感じの優等生。黒くてさらさらの髪の毛や化粧っ気のない見た目から、ちょっと没個性っぽい感じは否めないけど、中身は堅物ってわけでもないし、冗談も通じるいい子だと思う。あと、睫毛がすごく長い。
委員長は教室に入ってきて、あたしの隣の席に腰掛けた。
「大変そうだね。手伝おっか?」
「ありがたいけど遠慮しとく。早く終わっても別の仕事投げられるのが目に見えてるし」
悪びれることなくそう言うと、委員長は笑った。
「ごめんね、冴村さんに任せちゃって。クラス委員がなかったら私がしてたんだけど」
「いいよ、大井ちゃんだってこの時期忙しいんでしょ」
「ずっと聞きたかったんだけど、どうして冴村さんは実行委員を引き受けたの?」
いつもつるんでる友達相手なら「内申を上げるため」とか答えたと思う。
「誰もやりたがらないから」
「そんな理由で?」
「いい加減面倒だったもの。生徒の自主性を尊重するなんていいように言っておきながら、その実は面倒ごとに対して自分じゃない誰かが人柱になることを期待するような、いまの感じが。だからいっそ進んでやってやろう、みたいな」
委員長は目をぱちくりさせたかと思うと、すぐに破顔した。
「それ、わかる気がする」
改めて、このひとってこんな風に笑うんだなって思った。そして共感してもらったことに対して、割と嬉しく感じている自分を自覚した。
「大井ちゃんこの感じわかってくれるの?」
「うん。私だって、多分そんな感じで委員長やってるし」
普段クラスで見るのとはまた違った感じの委員長は、相変わらず可愛いまんまだけど、言葉の端々に時折覗かせる翳りのようなニュアンスが新鮮に感じられた。
それが、委員長が私に気を許してくれたんじゃないかって思えて、私達は下校時間いっぱいまで話し込んだ。
文化祭なんてしなけりゃいいのにと思ったけど、話の合う友達を見つけることができたので、案外悪くもないのかもしれないな、と思った。
だけどそれから彼女と、特別なにかを話すことはなかった。教室で会っても普通に挨拶を交わすだけで、あの放課後に会った彼女はそこにはいなかった。
きっと委員長は誰に対しても優しい性格なのだろう。あの放課後も、偶然彼女の気が向いただけなのだ。一人で盛り上がっていたことを恥ずかしく思った。


あれだけ雑務に追われる日々も、終わってしまえばあっという間で、私は空き教室の窓から模擬店が行われている様子を見下ろしながら、気の抜けた人形のようにぼーっとしていた。
「冴村さん」
後ろから声がかかる。委員長だった。両手に一つずつ、サイダーとコーラの缶ジュースを持ってる。
「どっちがいい?」
「……コーラ」
「はい」
私は委員長と自然に話をしながら、その実、内心は穏やかじゃなかった。
私を見つけてくれて嬉しかったというのはもちろんある。だけどそれよりも、これからなにをどう話せばいいかがわからなかった。
第一、ろくろく話していなかったのに、どうしてまたなんでもないように話せるのか、私は彼女に小さな怒りさえ覚えていた。
委員長からコーラを手渡され、プルタブを引く。喉が渇いていたのだろうか、委員長もサイダーを開けて、早速飲んでいた。
苛立ちと緊張とが相まって、つい私は意地悪を言ってしまう。
「あ、やっぱりサイダーの方が良かったかも」
委員長は缶を傾けたまま、視線だけを寄越した。
彼女はどう返すだろう。勝手なことを言う私に腹を立てるだろうか。それとも、罪もなく謝るだろうか。

「飲みかけでよかったら」
委員長は持っていたサイダーの缶を差し出してきた。
驚きのあまり声が出ない私に、言葉が重ねられる。
「サイダーの方が良かったんだもんね」
渡された缶には、もう中身が殆ど無かった。
「じゃあ代わりにコーラ貰おうかな」
いけしゃあしゃあとそんなことまで言う始末だった。

もう限界だった。
私達はお腹を抱えて笑い合った。床にジュースも零した。制服にもちょっと引っかかった。そんなことがどうでもよくなるぐらい面白かった。
委員長はなにも変わっていなかったのだから、これほど嬉しいことはない。
お腹が引き攣るぐらい笑ったのは、何年ぶりだろうか。笑いが治まるのに何分か必要で、お互い、息も絶え絶えになった。
「あー、喉乾いた」
「大井ちゃんサイダー結構飲んだじゃん」
「冴村さん探すのにあっちこっち走ったから」
今更になって私達は、連絡先の一つも交換していないことに気付いた。
「私を?」
「寂しがってるかなーって」
「別にそんなことないけど」
「ふうん」
「なにその言い方」
「なんでもない。それより模擬店行かない?」
「うん」
もう少しで陽が傾いてくる頃だ。

それから模擬店で色々買って、また同じ教室に戻る。二人だけでのんびりと過ごした。
「あ、屋上見て、冴村さん」
委員長が指さした先には、うちの制服を着た男子と女子らしき影があった。
「んー……んん?」
二階の空き教室からなんとかわかるぐらいなので、恐らく地上からは彼らを捉えることは難しいだろう。逢瀬の場所を探すのも大変だな、と思った。
「不純異性交友だね」
「きょうびそんな言い方しないでしょ。ていうかあれ佐月かな」
「……知り合い?」
「仲はいいね」
体育の合同クラスでよく話すひとだった。
「……よく話すの?」
「大井ちゃんよりは」
何気なく言ったつもりだったが、予想以上に彼女には効いたようで、
「なに、それ」
委員長の声色が変わった。
「他意はないけど」
「私より話すからなんなの」
「なにも言ってないじゃん、そっちこそなに」
「仲がいいから、なんなの」
委員長が私の手首を掴む。彼女の身体はわなわなと震えていて、その振動が繋がった手首を越して届く。震えている割に掴む力は弱々しかった。
「なんでそんな怒ってんの」
「怒ってないし」
「うそ。じゃあこれはなに」
私は手首に目を遣る。委員長の手がびくりと揺れる。彼女の目が、気まずそうに伏せられる。枯れ枝が自重によって朽ちてしまうようにして、掴んだ手も緩やかに離される。
「私にとって」
委員長が囁く。
もう殆ど沈んでしまった陽が、彼女の斜め後ろに見える。本格的に夜が始まろうとしていて、その暗い彩りは目の前の彼女の心象のように見える。
「私にとってあなたは、憧れだった」
囁き声は、まるで行き場をなくしたかのように私の周りを飛び続ける。
「友達の多いあなたはいつも幸せそうに映った。いつだって誰かが傍にいて、私はそれが羨ましかった」
「私も友達を増やそうと頑張ったし、実際増えた。いつも誰かが傍にいてくれるようになったけど、でも幸せじゃなかった」
彼女が一歩、前に出る。
「私はようやく気付くことができたの。私は他ならないあなたが欲しかったんだということに」
彼女の手が私の顎に触れる。
「でもあなたの周りにはいつも誰かがいて、私が入る隙間はなかった」
彼女は数秒の間、目を閉じた。
「あの日の放課後は、一番幸せだった。信じもしない神さまに感謝したくらいよ」
彼女の顔が近付く。じりじりと距離を詰める蛇のように、ゆっくりと。どこも掴まれていないのに、私は動くことができない。
「あの日のあなたはいつも教室で見かける姿とどこか違っていて、てっきりあなたが私に気を許してくれたのかと思った」
もう明かりをつけないと視界が不鮮明に感じるくらいには陽が沈んでしまっている。暗さに順応した私の目は、ただ彼女の長い睫毛を捉え続けている。
胸の内側を鷲掴みにされるような、嬉しいような、切ないようなそんな感じの甘い痛みがする。

鼻先が触れ合うほどの距離。
私と彼女は息が詰まりそうなほど暗く静かな教室の中で、お互いの目の奥を覗き込んでいる。
「聞いてほしいの」
「……なに」
「私はあなたがすき」
窓の外の広場ではまだ微かにひとの声がする。彼女の目の縁に溜まり始めた涙を、私は綺麗な宝石のようだと思った。
「すきなんだけど、でも、女の子同士なんて変だよね。わかってる、わかってるの、でもすきなの」
涙が溢れないように、彼女の眉間や頬に皺が入る。
「だから、思ってることを伝えるだけ伝えて、もうあなたとは話さないことに決めた。勝手なこと言ってごめん、さよなら」
彼女が一歩、後ずさる。

私は頭の中で色々なことを考えていた。でもその色々をいざ彼女に伝えようとしたところで、なにから話すべきなのかが、いまひとつわからなかった。
「ねえ」
だから私は、暗闇に溶けてしまいそうな彼女の手を取って、まず一番聞きたいことを聞いた。
「大井ちゃんは、恋人となにをしたいって思う?」
「え?」
すべらかな手を掴みながら、私は言葉を待った。
「……キスとか、デートとか」
私は彼女の手を引き寄せる。
私だって慣れている訳ではないので、ぎこちない感じになってしまう。
ただ触れ合わせるだけのキスなのに、耳の先まで血が登ってしまうほどどきどきした。
「さえ、むらさん?」
「女の子をすきになるのは変かもしれないけど、変だからって私は諦めたくないな」
暗いから顔が赤いのなんてわからないはず。私はもう一度キスをした。
「大井ちゃんが思うほど特別な私じゃないし、私だって大井ちゃんのこと勘違いしてたかも。私だってあの放課後は、幸せだったから」
「……あなたをすきで、いいの?」
「私は大井ちゃんじゃなきゃ、嫌だけどなあ」
「わ、私も冴村さんじゃないと嫌だよ」
「それならいいじゃん。私達は今日をもって恋人だ」
引っ込んでいた彼女の涙が、わっと溢れてきた。
彼女の手を引いて、廊下へ出る。彼女は子供のように泣きながらついてきた。私は小さなその頭を撫でてあやしながら、考えごとをする。
初めてのデートはどこにしようか?