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可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

lapis lazuli

立っているだけの状態を止めて、一歩右足を前に投げ出して踵から着地する。
体幹は未だ前方に傾けられたままなので、このままなにもしなければわたしは左寄りの前方に倒れ込んでしまう。
倒れるとまた立つまでに動作と時間を要する。要すると、要された時間と動作は失われる。
失われてしまうのは嫌だった。

転んでしまうことを防ぐために、わたしは惰性から左足を前に投げ出す。奇しくもそれは歩容の形態をとる。今日はいやに瞼が重い。睡眠なら充分とっているはずなのに。
わたしが進む先は前で、わたしが進んできたのは後ろからだった。
青い青い、どこまでも青い地表。地平線は遥か遠くにあって、地平の上にはまた青い空があった。
はっきりとした群青色に染まった地表と、それをそのまま輝度を上げたような空と、白い衣服を身につけたわたし。
この世界を構成するのは、たったその三つ。

わたしは歩みを進める。わたしの足先が地表に触れるたび、地表はわたしの足先を中心に同心円状の波紋を広げる。三歩進むと三つの波紋が広がり合い、強め合い、弱め合い、決してなくなることはなく、わたしを中心に遠ざかってゆく。
この地表は固体でもなく、液体でもなく、ましてや気体ですらない。ただ、波打つことだけが事実だった。
わたしが歩く後ろにはもう幾つもの波紋が生まれ、なにか、地図のような柄が形成されては、すぐにほどけて散ってゆく。
どこまでも青い地表を舐めるように走る輪っかの広がりは、地平線のその先を目指してゆく。遥か遠い彼方には、果たして青以外のものがあるのだろうか。

そのうちにわたしは歩くことも億劫になって、空を飛ぶ。宙に浮かぶのは歩くよりもかんたんだ。
念じるだけでいい。
念じれば、それだけで。
二メートルほど舞い上がり、少し高すぎたので一メートルほど下がってみる。
大切なのはイメージをすること。イメージをして、それを疑わないこと。
両足を少しだけばたつかせて、エーテルの触り心地を確認して、わたしは意識を前に集中させる。
最初はゆっくりと、次第に少しずつ速く、わたしは地表から凡そ一メートルほどずれた座標をすべる。
ああ、でもまだ少しだけ眠い。午睡をとってしまおうか。
首をもたげる魔性の言葉に折れてしまいそうになりながら、わたしは滑空を続ける。
ふと下をみれば微小に湾曲した波がわたしを追いかけてくるのがわかる。
わたしを呑もうとせんばかりに。

青い。
青という意味を知ってか知らずか、わたしは意識を醒ましてから目にする色にそういう感想を抱いた。
わたしは、わたしの衣服の白(だと思っている色)とそれ以外のすべてを占める青(だと思っている色)しか知らない。
本当は他にも様々な色を知っているのかもしれないけれど、そうだとして、覚えていない。
そうして進む理由もわからないまま、ただわたしは惰性に流されるままに進行を続けている。
進行するのだから当然わたしは前に進んでいるのだろうし、前に進んでいるからにはどこかに辿り着かなければならない。
朧気にそんなことを考えながら、一向に変わろうとしない世界をわたしはたゆたう。

ああ。風を切ってエーテルの中を流れていると、あまりに心地が良いせいだろうか、いよいよわたしは目を開けていられないほどになってしまった。
徐々に飛ぶ速さを落として、そのままエーテルに身体を預けるようにして、自分の身体が完全に速さをなくしてしまわないままに、わたしは意識を放り投げた。
最後に覚えている色もまた青だった。


青い。
わたしは目を醒ましてまずそう感じた。
どこまでも濃い青い地平と、その上に乗っかった薄い青い空。白く鈍く発色しているわたしの衣服が眩しい。
地表に寝そべる姿勢から身を起こして、その場に立ち上がる。
満身に濃いエーテルが充満しているのが感じてとれた。

なにも思い出せない頭を捻って、どこかへ向かえばなにかを思い出せるのではないかと期待して。

失ったかもしれないなにかを、また拾えるのではないかと期待して。

義務感というよりは惰性から、わたしは右足を前に投げ出す。