可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

最果てで左様なら

もってもあと一年ですねと医者に言われた。医者の言うことなのだから、単なる俺への嫌がらせなのではなく、なにかしらの根拠に基づいているのだろうし、ということは、俺は長めに見積もってもあと一年しか生きることができない。一年と聞くとあまり実感は湧かないが、去年の今頃から今日までしか生きられないと思うと、少しだけ実感は質量を持つ。

同じく医者の話を聞いていた親と妹には泣かれた。心積もりはできていたようだが、やはり直接言われるとこたえるものがあるらしい。残された日々を好きに生きてくれと、ただそれだけ言われた。

数少ない友人に電話を入れた。端末の向こう側で言葉を失っていた。大げさだと笑ったら真剣に怒られた。直後に謝られた。たくさん会って、思い出を残すことを約束した。

最後に彼女に連絡を入れた。病室に飛んできた。終始驚いた顔をしていて、乾いた布に水分を含ませるように、俺の言葉を黙って聞いていた。これから先は短いけどよろしく、と言うと初めて笑顔を見せた。当たり前でしょ、と返ってくる声が震えていた。やがて彼女が俺の体にしなだれかかった。大声を上げて彼女は泣いた。

日記を付けることにした。日々感じたことや、起こった出来事を殴り書くだけで、あまり面白いものでもなかったが、することがなかったので続いた。書き始めた当初はやはり、自分でもショックだったのだろう、日記の内容が暗かったり、日記自体書かない日もあったが、次第に諦めが幅をきかせたのか、はたまた吹っ切れたのか、明るい話題にも触れるようになっていた。それに呼応するように病状は悪化の一途を辿り続けていた。

俺が世話になっている大学病院は、丘というには少し勾配の急なそれの上に建っており、見舞いにくる人はみんな、バスと石段を経て虫の息になっている。彼女は体力に自信がないと言っていたが、毎週律儀に果物を持ってくる。彼女は俺のいる部屋を、世界の果てだと揶揄した。俺は、それもそうだと笑った。きっとこれは別れの予行練習なのだろう。時折ぼんやりとそんなことを考えていた。

日記のなかに、家族や知り合いひとりひとりに宛ててメッセージを書いた。それをしようと思った頃には手が震えて綺麗に文字が書けないといった有様だったが。大変だったけど書き上げた。小学校の先生から初恋の相手、お婆ちゃん家の飼い犬にまで書いた。

 

 

自分に関するそんなこんなが、さっきから半透明なビジョンでぐるぐると頭の上を回り続けている。霞んで見える視界の中で、目から大粒の涙を零している彼女が映っている。右手があたたかいのは、彼女がにぎってくれているからなのだろうか。右手以外の体のあちこちが痛い。

何ごとかを叫んでいるのは、おれが死にそうだからか。なぐさめたくてもできない。

予行練習をしたのに、本番ができないなんて嫌だ。俺は彼女に言わなければならない。今までありがとう、たのしかったと。

さいはてで、さようなら。