可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

音楽のあった風景

 思い返せば、小さかった頃から音楽というものが好きだった。聴くほうはまずもって機会があまりなく、好きか嫌いかの判別もろくにつかなかったけど、歌うほうは好きだった。声変わりするまでは高い声も普通に出せたし、何より大きな声を出せることが気持ちよかったのだと思う。

 中学に上がって、吹奏楽を始めた。楽譜も音楽記号もわからなかった俺が任された楽器は、チューバというもので、巨大な金管楽器だった。ものによっては十数キロにもなるほど重く、とても低い音の出る楽器だった。

 その頃の自分は、特に音楽をやりたいという強い感情もなく、周囲の環境に流されるのに身を任せていたから、始めて暫くは何の感慨もなく練習をするばかりだった。音楽をするというよりは、そこで知り合った人達とコミュニケーションをとることがメインだった時期もあった。吹奏楽に限らず音楽というものには発表会などの本番がある。今考えれば当たり前なのだが、本番の時以外は、ひたすら練習をしなければならないのだ。

 音楽は一日にしてならず、演奏の上達にはまとまった時間を要する。呼吸法を改め、肺活量を養うために持久力をつけ、単純に見える練習を毎日しなければならなかった。勿論休みも殆どない。休むだけ身体は鈍り、コツを忘れてしまう。中学生だった自分は、早々にやめてしまいたいと思うようになったが、これは結局、大学に上がって暫くするまで続くことになる。ひとえに、音楽というものの魅力に捉えられてしまっていたのかもしれない。

 かくして中学生活は吹奏楽漬けになった。毎日放課後になると部室に集まり、合奏練習などがなければ、放課後の空き教室を利用して楽器ごとに分かれて練習をした。しかし、ほかの文科系のクラブも放課後に教室を利用して活動するところが存在したので、どうしても教室で練習することがかなわず、廊下で練習しなければならない部員が発生した。

 話は変わるが、例えばクラリネットやトランペットなどの花形の楽器などはとても人気があって、三学年合わせて十人、二十人と大所帯になるのだが(また、楽曲の編成上、それだけの人員を必要とする側面もあるのだが)、ことチューバという楽器は、二十人の編成に一人いれば十分であるといった立ち位置にあるので、三学年合わせて、編成的に二人から三人という塩梅になる。

 つまり何が言いたいかというと、人数的な関係によって、チューバは廊下で練習することが殆どだったのだ。校舎三階の端、理科準備室の前だった。埃っぽく、また、廃材なんかも転がっていたりして、環境としては決して最高のものではなかったが、当時を振り返る際に、真っ先に浮かぶのはその景色だった。夏はうだるほど暑く、冬は震えが止まらなくなるほど寒い。だけど、その場所のことが好きだった。そこで飽きるほど、飽きても尚吹き続けた記憶は、どこか心地よいものだった。

 そして何よりおれは、人間に恵まれた。中学の頃の先輩や同級生の九割は、思い返すのも嫌になるほど嫌いだったが、残りの一割の人間が、音楽を続けるモチベーションになり得た。彼らのお陰で、何とか音楽を嫌いにならないまま高校に進学できたといいきってもいい。感謝してもし足りないとさえ思う。

 高校に上がって、特に迷うこともなく吹奏楽を続けることにした。多数のイベントに出演し、演奏をした。そうでない時は練習をした。(有難いことに高校では、 

練習するための教室があった)

 高校一年の冬に入った頃だろうか、不思議と音楽が好きだと自覚するようになった。毎日の練習は相変わらず単調に感じたし、ずっと真面目に練習を続けてきたともいわないが、それでも、そんな日々を気に入っていることに気付いた。

 また、高校でもおれは、周囲の人間に恵まれていたのだ。しかも今度は、周りにいた誰もが素晴らしい人間だった。ここにもたしかに、人間関係の軋轢があったり、口論の絶えない人間もいたが、そんなものは一部分でしかなくて、基本的には皆、輝かしい人間だった。

 おれは今でも成熟しきっていないが、当時は今よりももっと酷く、人間的に未成熟だったあの頃の自分と関わって、なおかつ向き合い続けてきてくれた彼ら彼女らにも、感謝の念は絶えない。

 音楽が好きだと自覚できた頃には、チューバという楽器において、大抵のことはできるようになった、或いはできるように見せかけることはできた。大体どんな吹き方をすればどんな音が出るのかとか、フレーズごとに適した吹き方なんかが、感覚的にわかるようになったし、それを演奏という形で表現することができたと思う。

 誤解のないようにことわっておくと、当時の自分もまだまだ下手だったし、もっと上手い人間なんて、自分が観測できる範囲の中にさえ沢山存在した。あくまで自分の思うように、吹きたいように吹けるようになったという意味合いにおいて、おれは上達していた。幸い音感に見放されていなかったため、ある程度のレベルには到達できていたと思いたい。腕試しにと、県内の高校生の中から、希望者を募ってオーディションを募り演奏会を開くといった催しに参加し、何の因果か県の代表の一人に選出されたこともある。

 そういうわけで、それ相応の時間をかけて上達し、今現在はその楽器から、演奏活動自体からさえ離れて久しいが、折に触れては当時のことを思い返すことがある。

 当時の自分が、何を考え、どのように演奏していたかを思い出すことは最早ないが、どんな気持ちでいたかはまだ思い出せる気がする。当時の自分が何について悩み、何を成しえないままに終わってしまったのかなんて、もう今のおれにとってはどうでもいいことなのかもしれないけど、立派に悩んでいたことだけは思い出せるし、無駄じゃなかったと思う。

 春には新入生歓迎会での演奏、夏には吹奏楽の大会、秋にはアンサンブルコンテスト、そして冬には定期演奏会と、季節に紐づいて当時のイベントが思い起こされる。現に、顔も名前も知らない後輩達は今この瞬間も、青春を送っているのだ。様式や人員は変わり、おれがいた時と完全に状況が同じであるはずはないが、それでも、おれが日々を費やしたあの空間で、まだ音楽が鳴っていることを想像すると、どこか幸せな気分になれる。

 何かの拍子にふと自分が演奏した曲のフレーズを口ずさんで、こんなことを思った夕下がり。気まぐれに文章に起こしてみた次第。