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可逆的選択

趣味で書いています @yadokarikalikar

cherry blossom

生まれ変わったら桜になりたい。
春が来る度に、ぼんやりと、だけど何度もそう思う。
なぜそう思うようになったのか、きっかけは思い出せない。

スーパーへ買い物にいった帰り道を唯と連れ立って歩きながら、沿道に植えられた桜並木に目をやる。
昨晩降った強めの雨のせいで、花弁の七割ほどが地面に濡れ落ちてしまっている。
黒々とした幹は、まるで墓標のように植わっている。
梶井基次郎だったろうか、桜の樹の下には屍体が埋まっているといった旨のことを書いた作家のことを断続的な思考の先に考える。

隣を歩く彼女に肩を叩かれて、半ば遊離させていた意識をそちらに傾ける。
夕飯をなににしようか、と彼女と話しながら、私の頭の中には、イメージとしての桜の樹が焼き付いて離れない。


二人で住むにしては、あまり広いとはいえないマンションの一室で、大学に入学した頃から私は彼女とルームシェアをして暮らしている。
部屋はあまりものを置く余裕がないためか、簡素な印象を受ける。
出先から家に帰る度に、ああ、うちはものがないな、と思う。
生活感が薄いとかではなくて、単純にさびしい。
娯楽につながるものといえば、テレビと本棚ぐらい。
その日も家に帰りついてから、私はいつものように、ものがないなあと頭の中で独りごちる。
スーパーで購入した食材を冷蔵庫に仕舞い込みながら、私は妙な納得をした。
この部屋に抱く印象は、まるで桜にそっくりではないだろうか。

最低限あるべきものがそこにあるだけで、それ以上のものはもたないし、なによりそうするだけのキャパシティがない。
それは、私がかねてから、桜に対して似通ったことを感じていたことだった。
桜は、一年にたった数週しか満開の季節を持たず、それ以外は殆ど見向きもされない。
静寂と停滞を綯い交ぜにしたような植物だと思う。

だからこそ私は、桜に対して憧れのような感情を抱いていたのかもしれない。
だからこそ私は、桜という樹を好きになったのかもしれない。

かしゅ、と可愛らしい音を立てて、缶ビールのプルタブを上げる。
軽めの夕飯をとったあと、私と彼女はテレビもつけず、音楽もかけず、お互いの息遣いを聞きながらお酒を飲んでいる。
「美紗都はさ」
唯が缶を片手に私を見つめる。
「いつまで続くと思う?」
彼女のその問いかけには主語がついていなかったが、なんてもわかった。
なにが続くかなんて、私達の関係以外になにもないだろう。
この部屋にあるものは、私達を除いて他には、すべて停滞してしまっているのだから。

私達は、お互いを愛している。
相手のことを一番に考え、相手の為にはたらき、愛情を注ぎあって生きている。
だから、度々確かめてしまいたくなるのだ。相手が本当に愛するべき相手であることを。
癒えない傷を舐め合うように。
いつまでこの関係が保てるかなんて、遠回しなやり取りでもって。

私は彼女から尋ねられるごとに、彼女への気持ちの大きさを改めて自覚する。
そして膨らみ続ける思慕の念を、満身で彼女に伝えるのだ。
桜に囲まれて私達は、一度だけ唇を重ねる。
お互いが自然に顔を寄せて、お互いが自然に目をつぶり、降り積もりゆく花弁に、相手を見失わないように。

「生まれ変わっても一緒だと嬉しいけどね」
私は月並みな言葉を呟く。
別に言葉なんて、あまり重要ではないのかもしれない。
私達は信じ合う以外に、共に生きる術を持たないのだから。

二人で寝そべっても少し余ってしまうサイズのベッドに身体を投げ出して、手の指を絡めて、浅く息をする。
暖かな体温を隣に感じながら、意識が微睡んでゆくのを自覚する。

「生まれ変わったら、桜になりたいな」
彼女が唐突にそんなことを言うものだから、私は驚いてしまう。
「どうして」
内心の驚きを悟られまいと思いながら、私は彼女に尋ねる。
「だって美紗都、桜が好きでしょう?」
彼女はこともなげに、そう言って微笑むのだ。

限りなく桜に似たこの部屋で。
唇に感覚が新しい私に向かって。
いっそ二本の桜に生まれ変わって、来る年も来る年も隣り合って咲ければと、心の底から誰かに祈りながら、私は意識を手放した。