大学最後の春休みを謳歌したいなあ、と思って真っ先に思い浮かんだのは、映画館に行くことだった。通い始めてまだ何年も経たないが、映画館の持つ魅力にすっかり囚われてしまった。 通い慣れた劇場に赴き、購入したチケットを提示して入場すると、長くまっす…
思い返せば、小さかった頃から音楽というものが好きだった。聴くほうはまずもって機会があまりなく、好きか嫌いかの判別もろくにつかなかったけど、歌うほうは好きだった。声変わりするまでは高い声も普通に出せたし、何より大きな声を出せることが気持ちよ…
大きめの鍋にたっぷりと水を張り、火にかけておく。 沸騰次第塩を一つまみ振りかけ、スパゲティを入れる。麺がある程度曲がるようになるまでは、丁寧に菜箸で麺同士がくっつかないように混ぜる。 しめじ、えのきを適量、にんにくを二欠けほど、鷹の爪を少し…
掬いあげた水が、器をかたどった手のひらから零れるようにして、目が覚めた。 夏の終わりにしては、空気はひんやりとしていた。隣を見遣ると、安らかな寝息を立てている恋人がいる。顔を寄せて、まじまじと見つめる。少しだけ間の抜けた寝顔にキスしてやりた…
飼い猫が息を引き取ったのは、軍隊の行進のように終りの見えない、梅雨のある朝のことだった。 僕は泣きこそしなかったけど、それから暫くは生活のすべてがどこか噛み合わせの悪い歯車のようにぎこちなくなってしまった。今はもう、乗り越えられていると思う…
「つまりあなたは、未だに手を付けてすらいないということね?」 僕の目の前にいる彼女は、音叉を用いて音程に狂いがないかを確かめる神経質な音楽家のように、僕に尋ねた。尋ねたというよりは、意味合いとして、断定した。 僕は鷹揚に頷く。というのも、そ…
相も変わらず就職活動は佳境であって、どこも落ち着いてなどいないのだけど、久々に自発的になにかを書きたい気分になれたから、興味が消えいってしまわないうちになにかを書き付けたいと思う。 皆さんは「CLANNAD」をご存じだろうか。知っているとして、そ…
就職活動が佳境なのでブログ更新できません。 という文言をもってして更新するということはある種のパラドックスだろうな。 もうちょっとしたら多分落ち着くと思うので、暫しお待ちください
立っているだけの状態を止めて、一歩右足を前に投げ出して踵から着地する。 体幹は未だ前方に傾けられたままなので、このままなにもしなければわたしは左寄りの前方に倒れ込んでしまう。 倒れるとまた立つまでに動作と時間を要する。要すると、要された時間…
生まれ変わったら桜になりたい。 春が来る度に、ぼんやりと、だけど何度もそう思う。 なぜそう思うようになったのか、きっかけは思い出せない。スーパーへ買い物にいった帰り道を唯と連れ立って歩きながら、沿道に植えられた桜並木に目をやる。 昨晩降った強…
二月末から三泊四日で関東へ旅行した。 その際に起こったことや、それに起因して発生した感情などを、一文字でも多く形として残しておこうと思い立ち、にわかに書き始める。 乱文や乱調となること請け合いではあるだろうが、これは備忘録であり、フィクショ…
いまの季節は十七時を越えるともう陽が暮れ始める。地平線の向こうにとっぷりと暮れ切ってしまうと、代わりに訪れるのは夜の暗い色だ。 一月も終盤に入ると寒気も縮みあがってしまうほど酷い。自室に備え付けた石油ストーブを点けて、暖気を放つまで手を揉ん…
放課後の校舎の雰囲気は嫌いじゃない。 堅苦しくないというか、例えるなら紙風船のようで、空気が入っているのに弾力はないというか、そんな感じ。 その中を自由に過ごせるなら、なにも言うことなんかないのに。 廊下を歩きながら、小さな溜め息を吐く。抱え…
未来の自分に手紙をしたためたことがあるひとが、この文章に目を通すひとの中にどれほどいるだろうか。 その大方は若気の至りに依るものかもしれない。自分だって、何年も前にはなるが、二十歳の自分に宛てて書いたことがある。二十歳をとうに過ぎたいまでも…
ぜんぶ美紗都が悪い。 周りの目を引いてしまうほど可愛いのも、大勢の中から聞き分けられるほど澄んだ声も、ほっそりとしたその身体も、ぜんぶ。 そんな彼女を前にすると私なんて霞んで見えてしまうかもしれない。だけど私は彼女の恋人なのだ。私は美紗都と…
「今日は何の日でしょう」 「クリスマスだろ」 「そうだったの?」 「お前はどんな答えを想定していたんだよ」 「サンタさんが世界中を駆けずり回る日だとばかり」 「言い方って大事だと思うんだよ」「動物園行こう」 「急にどうして」 「去年は水族館だった…
「水炊きは油揚が、ばり美味しいんよ」 「油揚が、ですか」 「疑いようやろ。ほれ、食べりんしゃい」 彼女が器に煮立った具材をよそってくれる。よそった上からポン酢を一回し分だけかけて、手渡してくれた。 まあ油揚はたしかに旨いけど、と思いながら器を…
「占ってあげよっか」 「急にどうしたの」 「なに占いがいい?」 「無視かな?」 「星座占いにするね」 「なんでもいいけど」 「それじゃあね……射手座生まれのきみは今日一日幸せに過ごせます」 「そりゃ良かった。射手座生まれの誰かに言ってやってくれ」「…
「三枚交換します」 「うええ……じゃあ一枚交換で」 「コールします。君は?」 「……コールで」 「ストレートフラッシュです」 「先輩強すぎませんか」 「君の手配は?」 「……フラッシュです」 「私の勝ちですね」 「ぐぬぬ」「こんな時間ですか」 壁に掛けら…
「春巻きって、春を巻いてるんでしょうか?」 先輩が急にそんなことを言うものだから、俺は思わず彼女の方を見た。 「……違うと思いますが」 俺は直感でそう答える。 「では、なぜそのような名前なのでしょうか」 先輩はどうにも腑に落ちないといった表情を浮…
自分の部屋の天井をぼんやりと眺めながら、俺はたゆたう意識とともに寝転がっている間仕切りを開けて入ってくる佐月は、手に持つ盆に何かを乗せてコップ一杯の水と、湯気のたつ炒飯お前という奴は。勝手に台所を使うなそんな言い方するんだったら、もう作ら…
身体が重力を遠ざけたより精確に描写するなら垂直抗力が霧散した左足は虚空を踏み締め、傾く体幹は棒倒しを彷彿とさせる 「先輩!!」右腕を掴む心許ない感触と眼鏡の奥に煌々と輝く瞳、圧倒的な生の脈動強引に引き寄せられて空いた手を地につく 肩で息をす…
青ざめた気色で水瀬は要塞を後にする よもや自分は霊現象とやらに遭遇したのではないか?とでも言いたげな様子で霊などこの世界に一欠片も存在し得ない棟内にすら廃材が溢れる要塞でも例外はなくそうだ あれはたしかに佐月だが 本当の意味の佐月ではない 動…
正門から入るよりも南門からの方が約六分、時間を短縮して室に着く土だけで充たされ種を植えられずに置かれた鉢植えが周囲を囲むのを横目に第四号棟、誰かが面白半分に「要塞」なぞと揶揄した鉄筋へと足を踏み込む律儀に詰め込まれた機材や紙束の山をすり抜…
かみさまが、もしも私に魔法を使えるようにしてくれるならと、最近の私はそればかり考えている。もしも願いが叶うなら、魔法は一度だけで構わない。それだけで私は永遠に救われる気がするから。彼女と初めて出会った場所は、窓の小さな学校の図書室だった。…
私は彼のことが好きだ。 幼馴染で、家が隣で、元気だけが取り柄で、誰に対しても分け隔てなく優しくて、世界一かっこいい彼のことが。 だけど向こうは私のことをただの仲のいいお隣さんとしか捉えていないみたいで、ふざけあって笑うことはあっても、喧嘩し…
「ねえ」 「うん」 「あたし思うんだけど」 「なにを」 「ひとってすぐ死ぬよね」 「いきなりどうした」 「日常には色んな危険が潜んでるもん」 「いや、それはそうかもしれないけど」 「だからね」 「おう」 「シミュレーションをしようと思うの」 「色んな…
現国の高校教材がこれまでにどれだけの変遷を経てきて、またこれからどれだけ経てゆくのかは私の預り知るところのものではないのだが、私が現役のそれであった頃の教材は森鴎外の舞姫であった。はじめて目を通したときのことはいまでも思い出せる。古めかし…
「もしも僕が死んだら」 「やだ」 「もしもの話だから、大丈夫」 「それでもやだ」 不機嫌な顔をされた。彼女に死の概念を伝えようとしたが、早かったらしい。昼下がり、眩しいくらいの陽射しが窓から差し込んでいて、それを満身に受ける彼女は、花の妖精の…
時間があるのと、加えて興が乗っている面も応援してか、日記を書くことにした。 元来日記など書こうとしても続かない性格の人間である自分だが、それでも18歳の5月から数ヶ月間ほぼ毎日日記をつけていたことがあった。それはいまでも勉強机(家を出た兄のお下…